2006年06月18日

徒然

入社して2ヵ月半経つ。

入社式に、母校を同じくする顔見知り程度の間柄の知人と遭遇した。研修期間中、思いのほか彼女と打ち解けることが出来、楽しく過ごせた。というより、彼女以外の人と合わせる事が難しかった。あの人数がいて、ほとんどの人間と合わせられない、という、自分の協調性・社会性の欠如加減は甚だしいにも程があると思う。愛社精神も無いし、長く居るつもりも無いので無理にでも同期と仲良くしておこう、という思考が無かった。友人を作りに来たわけではないので構わないけれど。しかし、最初なので、自分なりには相当頑張った。皆、出来た人ばかりで、とても感じ良く接してくれる。見習おう。


仲良くなった同学の友と私の勤務地は見事に別れた。同じ会社とは思えないほど雰囲気が異なる。ラフさと堅さに差が在りすぎる。私は堅いほう。


配属された部署は、とても新人が配属されるとは思えない、概念的で抽象的な部署だった。平均年齢は社内一番高いだろう。実務より、思考・思案の時間の方が多そうだ。とはいえ、新人なのでいきなりそんな大仕事は出来ない。しかし、この部署にいる以上は、どんな小さな仕事でも確実で的確でゆるぎない質の仕事が求められる。それはどんな仕事にも当然求められるものだが。注意力散漫及びミスの嵐には自分でも泣けてくる。この部署は私の性質と真逆すぎるんじゃないのか…。以前に配属された新人は早い段階で辞めていったと聞いた。気持ちはわかる。


最近、分かったことだが、ある分野のリーダーに私を仕立てていく道筋らしい。どうして私を選んだのか?人選ミスなのでは?と思わざるを得ない。知識も無いので(仮にもっと知識があったとしても具体性が無いので)想像も出来ず、戸惑っている。所長と、配属後どうか?という旨の面談があったので、その辺のところを話した。所長自身未だ構築中であったので、溜飲が下がるような答えを得ることが出来なかった。まあ、先の話ではあるので、具体的な業務に慣れていくしかないだろ、と思うに至った。以前に辞めた新人のことも過り、不安は尽きない。しかし、所長は(ミスの多さはさすがに指摘されたが)「あなたに関しては心配してないです。」とのこと。それはそれで有難いけれども。


毎日が綱渡りのような生活をしている。「もう無理」と「意外といける」の繰り返し。本当に限界だと思った時に、フロムエーととらばーゆを購入して具体的な転職活動をしてみた。さわりだけ。予想より早く転職だな、などと思いながら。

あ、良い求人発見。何コレ、私の夢じゃん。
でも実際、給料がきつそうだなあ…
残業とかアリだろうか。
実際に電話してみる。
あ、そうですか…ナシですか。
いくら今、安月給の一人暮らしできついとはいえ、
この求人先に転職しても同じことか。
同じ職種のもっと良い求人が出るかもしれないし。
もうちょっと我慢するか…

そのような流れで今も勤務を続けている。「嫌になったら辞めればいいし。働き先はいくらでもあるし。明日にでも辞められる。」こう本気で考えていると楽。


今後の展望についてはいくつかある。また、何十年単位のものから、先一年単位のものまである。どの断片をどう用いて、どう構成していくかはまだ決めかねる。まだそれをうまく判断できる状況に無いと思っている。もう少し輪郭が見えるまでは自分の意志や生き方を確立させていこうと思う。


未来には無限の可能性が広がっている、と思える時期はとっくに過ぎた。今はどう未来を広げるかを考えている。実行する時期にはまだ到達していない。本来は大学時代に考え終えておくべきなんだろうけれども。挫折が怖くて怠った。

「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」とあまりにも言い得てくれた中島敦に感銘を受けるだけじゃなくて、その先まで考えなくてはならなかったんだよ。


posted by ユカソ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 考えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

アガペ

昨日の晩、友人が泊まりに来て眠りがけに考えあった。
アガペという愛の形について。(キモいな)

ソースは探せなかったけど、友人の友人(遠いな…:以下Aさん)が見つけた文章の中に
「アガペは神から人、また人から神への場合においてのみ存在する」
というような内容があったそうな。

アガペといえば私の中の認識は「無償の愛」。具体的に出してみるならば、母親から子供に向けた愛情がそれなのだ、と何の疑いも無く普通に思っていた。が、それは限りなくアガペに近いけれども、似て非なるものなのでは?それをアガペとしてしまうのは危険なのでは?というのがAさんの見解らしい。

母親から子供に向けた愛情も、初めは無償かもしれないがいずれは質も変わる、と。見返りを求めるとまでは言わないが、結局は自己愛を満たすものだ、と。自我が芽生えて言うことを聞かなくなった(=素直で可愛い子ではなくなった)子供を虐待するだとか、そこまで行かずとも理不尽に叱るのだとかを見ると、それもそうだなと思う。まあ、母親も人間だしな。

神という何者・何事をも超越した存在だからこそ余裕があって、アガペなんてものをも生み出せる。なるほど、そうかも。でも、神も意外と気まぐれじゃないか?アダムとイブが林檎食ったからお仕置きしたり、その他神話の中には神のアガペって?と思えるシーンはいくらでもあるのではないか?という話に。時間が無いので神話や聖書の具体的な話は調べられてないんだけど。というか、現実に神がいないじゃん。

そうなると、アガペはこの世には存在しない、という結論に行き着いてしまう。

でも私は、マザーテレサなどはアガペ以外の何者でもないと思っている。そうじゃなきゃ、何なのか?どうして、あんなふうに生きられるのか?
人は最初から完璧にはなれないし、永遠に完璧でなんていられないと思う。マザーテレサがアガペを大発揮(笑)する前までは、人間なんだから自分の身を案じたり少なからず自分のことを考えたりしたはずだと思う。でも、完全にアガペってものを持って人に接してた瞬間が彼女にはあるのではないのかなあ。

そう考えると、母親が子供に対する愛情も変質はありえるにしても、アガペの瞬間があるのではないかな、と思う。結局は。だから、これは衝撃的というか、何?と思った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051206-00000039-mai-soci

私は親になった事が無いから予想と推定と妄想だけで話進めて考えているので、本当はそんな単純なもんじゃなくて理が通るものじゃないんだろうけど。…で、結局アガペって何だろ…?


posted by ユカソ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 考えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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