2005年12月09日

アガペ

昨日の晩、友人が泊まりに来て眠りがけに考えあった。
アガペという愛の形について。(キモいな)

ソースは探せなかったけど、友人の友人(遠いな…:以下Aさん)が見つけた文章の中に
「アガペは神から人、また人から神への場合においてのみ存在する」
というような内容があったそうな。

アガペといえば私の中の認識は「無償の愛」。具体的に出してみるならば、母親から子供に向けた愛情がそれなのだ、と何の疑いも無く普通に思っていた。が、それは限りなくアガペに近いけれども、似て非なるものなのでは?それをアガペとしてしまうのは危険なのでは?というのがAさんの見解らしい。

母親から子供に向けた愛情も、初めは無償かもしれないがいずれは質も変わる、と。見返りを求めるとまでは言わないが、結局は自己愛を満たすものだ、と。自我が芽生えて言うことを聞かなくなった(=素直で可愛い子ではなくなった)子供を虐待するだとか、そこまで行かずとも理不尽に叱るのだとかを見ると、それもそうだなと思う。まあ、母親も人間だしな。

神という何者・何事をも超越した存在だからこそ余裕があって、アガペなんてものをも生み出せる。なるほど、そうかも。でも、神も意外と気まぐれじゃないか?アダムとイブが林檎食ったからお仕置きしたり、その他神話の中には神のアガペって?と思えるシーンはいくらでもあるのではないか?という話に。時間が無いので神話や聖書の具体的な話は調べられてないんだけど。というか、現実に神がいないじゃん。

そうなると、アガペはこの世には存在しない、という結論に行き着いてしまう。

でも私は、マザーテレサなどはアガペ以外の何者でもないと思っている。そうじゃなきゃ、何なのか?どうして、あんなふうに生きられるのか?
人は最初から完璧にはなれないし、永遠に完璧でなんていられないと思う。マザーテレサがアガペを大発揮(笑)する前までは、人間なんだから自分の身を案じたり少なからず自分のことを考えたりしたはずだと思う。でも、完全にアガペってものを持って人に接してた瞬間が彼女にはあるのではないのかなあ。

そう考えると、母親が子供に対する愛情も変質はありえるにしても、アガペの瞬間があるのではないかな、と思う。結局は。だから、これは衝撃的というか、何?と思った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051206-00000039-mai-soci

私は親になった事が無いから予想と推定と妄想だけで話進めて考えているので、本当はそんな単純なもんじゃなくて理が通るものじゃないんだろうけど。…で、結局アガペって何だろ…?


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posted by ユカソ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 考えた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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